今回は教育において、相手へ教えること・気付かせることについてだ。
何かを教えるとき、一から十まで全て教えてしまうことが最善なわけではない。
重要なのは、聞き手が何が重要かを正しく理解することだ。
そのためには全部を教えるのではなく、相手に本当に伝えたいことを相手自身に気付いてもらうのが良い。
自分で得た気付きは長期記憶の助けになる。
教えるのではなくて、気付かせる。
言葉も例えも例題も演習も、全てが相手の理解のためにある。
伝えたいことや本質を直接伝えてもいい。
質問形式にしてもいいし、間接的に伝えてもいい。
結果的に相手が内容を正しく理解出来ていればそれがベストだ。
理解が早い子・遅い子、教科によって得意な子・苦手な子、それぞいる。
集団授業を行うとき、全員が正しく理解するというのは非常に難しい。
それでも伝わる言葉は伝わり、伝わらない言葉は伝わらない。
その違いは何か。
まず、前提として理解してもらいたい内容の線引きがある。
全ての内容を全ての子に伝えるというのでなく、伝えたい事を伝えたい子に伝えるのだ。
もちろん贔屓は絶対してはいけない。
それでも、深い内容まで扱えば理解できる人数は当然絞られるし、そもそも一度聞いただけでは理解できないことなんて山ほどある。
だからこそ板書があって教科書がある。
後々勉強をしたとき、どこがポイントでどんなイメージでどんな論理があるのか。
その学習の助けをするためだ。
後で見返したときになんて書いてあるか分からない板書や教科書では意味がない。
そういった意味で板書の工夫や教科書のどこを参考にするかの声掛けは重要だ。
全てを書けばどこに注目していいか分からないし、省略し過ぎれば復習困難となる。
どういった理由で板書をしているのか、それを書くと生徒にはどのような良い影響があるのか。
なぜその発言をしたのか、誰を対象にしてそれを伝えたいのか。
そういったことを論理立てて説明できる必要がある。
さて、話を戻す。
そういった授業準備を経て、どのくらいのレベルの子にどこまでを理解してもらいたいかが決まる。
生徒の得意苦手関係なく、良質な板書と良質な説明は後々必ず活きてくる。
全ての基盤がそこにあるからだ。
その先に伝わる言葉の選定がある。
どのような言葉選びや伝え方が相手に伝わるのか。
どのような手順で伝えたら相手に伝わるのか。
そういったことを、後編では扱っていく。
普段意識していることだが、やはり文字として書き起こすとより一層意識できる。
しっかりと説明できるように意識していこう。
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